①(創作戦国)大友 宗麟‥おおとも そうりん
①大友 宗麟(おおとも そうりん)
→「大友 義鎮」「大友新太郎」「大友五郎」「宗滴」「宗麟」「ドン・フランシスコ」
(どんな人?)
宗麟の家臣には「立花道雪」「高橋紹運」「高橋鑑種」「立花宗茂」‥
と多くの有能の家臣が数多くいます。
(どんなことで有名?)
‥キリシタン大名です。同じ九州の戦国大名「有馬晴信」「大村粋忠」らと共に
「天正遣欧少年使節」を派遣します。
このことについて、教科書に取り上げかれています。
ですが‥、このことについて、宗麟は名前のみ‥という説もあります。
(違ったイメージ)
‥宗麟は「キリシタン大名」ですが、彼が洗礼をしたのは、晩年のお話です。
それまでは、仏教の方でした。
①家族構成について
父「大友義鑑」
弟(異?)大内義長 (異)大友塩市丸 (異)大友鎮成 (異兄)田原親賢
ですが、幼くして母は無くなってしまいます。
●弟→大内義長 宗麟が家督相続後、大内氏の正当な後継者になります。
ですが、「毛利氏」により自害に追い込まれます
弟→大友塩市丸 家督相続の際に殺されてしまいます。
父「義鑑」と新しい継母の子供です。
弟→大友鎮成 この方は本当に存在していたのか?が分かりません
一つの説では「龍造寺氏、鍋島氏の創作人物」の説
二つの説では、叔父の「菊池義武」の息子(いとこ関係)
彼は、「今山の戦い」(大友氏VS龍造寺氏、鍋島氏)との戦いで亡くなります。
兄→田原親賢 「奈多夫人」の兄で、異兄弟の関係です。
そのような立場もあり、宗麟から一目おかれていたようです。
(逸話からの宗麟)
②女性好き
‥戦国時代はよく「男色」が流行っていましたが。宗麟は「女」の方が好きだったみたいです。
●自分の妻にする
・叔父「菊池 義武」の妻
・家臣「一万田親実」の妻
・家臣「服部右京之助」の妻 ‥達を自分の妻にする。
●結婚相手
・一色家の姫(京都からの姫様)
・奈多夫人(田原親賢の妹)
・ジュリア(キリシタン)
●京都での女漁り
‥など、数々のワイドショーの目玉記事をしています。
→ですが、これらは確かな事ではありません
真実は誰にもわかりません
‥自分の妻にする
→「菊池義武の妻」の時は「奈多夫人」と夫婦になったばかりの時期です。
→「一万田夫人」の時は
・夫人を寝とったことが知れて、夫「親実」に謀反をされた
・「親実」が邪魔だから宗麟が処罰した。
・「親実」の弟「高橋鑑種」が宗麟へ謀反をした理由
‥など‥のいずれかの‥理由が有力です。
ですが、
●「親実」の息子「鑑種」にとって「甥」
「一万田鑑実」は、父・母 を害に合わせた宗麟に「謀反」はしていません。
むしろ叔父「高橋 鑑種」の謀反の討伐に参加をし‥
耳川の戦いでは、宗麟を守り抜き「シンガリ」を務めています。
●そして、「親実」と「夫人」は少々年配にして「鑑実」を出産している記録もあります。このことから、当時の宗麟と夫人との年齢の差があります。
このことから‥敵国「毛利氏」や「秋月氏」ら‥の「作り話じゃないか?」という説もあります。
→結婚について
①宗麟は10代後半から20代前半に、父「大友義鑑」の進めた「一色家の姫」と結婚します。ですが「義鑑」が亡くなると離別します。
②20代前半から40代・50代くらいまで「奈多夫人」と結ばれます。(側室として)
ですが、「奈多八幡」の姫である「奈多夫人」は「キリスト教」を嫌っていました。
このことや、宗麟の女性好きが理由で不仲が長く続き離別します。
③後期になると、キリシタン大名となった宗麟は、同じキリシタンである女性「ジュリア」と結婚します。
このように、結婚生活ですが、面白いことがあります。
●「奈多夫人」は、一度結婚をし離別をした歴のある方で、宗麟よりも年上の姉さん女房です。そして、子連れだった‥と説もあります。
●「ジュリア」は、未亡人であったそうです。この方も子連れであり、年上の姉さん女房でした。‥「ジュリア」の連れ子の娘と、宗麟の次男「大友親家」は結婚します。
‥もしかしたら、宗麟は年上の女性が好きだったんでしょうか?
この時代は、帝王学‥なのがあり、現代とは考え方が違いますね‥
③困ったお殿様
大友宗麟は、当時世界では大きな評価をうけている人物でした。
当時、日本にいた外国の方からは「日本で最も、そうちそうめいな人物だ」‥と高いと評価されています。
‥ですが
一方で「あなたは、友人だといい人だ」‥だが「国王には向いてない」と断言されました。
この言葉のように、宗麟さんは大変困ったお殿様だったようです。
●立花道雪に説教をされる
●立花道雪に猿を殺される
●お城から行方不明
‥など、数多くの「困ったエピソード」があります。
立花道雪さんシリーズでは
→遊びの度はすぎる宗麟を呼ぶために、道雪が宴会を開き呼び寄せて、説教をする
可愛がってたペットを目の前で殺し、人望のことなどについてしかる
‥などがあったそうです。
④宗麟さんの少年時代と家督相続事件
宗麟は、大友氏の21代目当主に生まれます。
複数の諸説を読むと「優秀」だが「病弱」のイメージが強い方でした。
‥幼い時は非常に優秀だったようで、幼いながら「九国を統一したい」と言うこと
ちち「義鑑」が普通よりも早く元服をされたようです。
ですが‥
10代後半が近くなってくると、「粗暴」「横暴」のイメージが強くなります。
‥服装はやや乱れた服を好んで、乗れもしない暴れ馬を好んだそうです。
剣の訓練では、真剣で勝負させるなど‥少々、人間性が欠けてる‥ような方らしいです。
このことが原因なのか‥
父「大友義鑑」は宗麟を嫌うようになり、三男の「塩市丸」を可愛がるようになります。
このことが原因で家督相続事件の「二段崩れ」がおきます。
「義鑑」が宗麟の家臣「田口氏」「津久見氏」‥らを呼びます。
この時に、「宗麟を仏に入れる」か「殺していまう」ということを言ったそうですが
呼んだ家臣は全員が反対し、それに激怒した「義鑑」は「田口氏」「津久見氏」を残す家臣を殺してしまいます。
これに危うさを覚えた残った二人が、夜「義鑑」のいる屋敷に入り、「義鑑」と「当時の妻」と「その姫と子」に「塩市丸」を殺してしまいます。
‥この当時、宗麟は別府の温泉に病気の治療のため出かけていたそうです。
ですが、違う説では
宗麟がしくんだことではないか?との説もあります。
この根拠は、父の死後と叔父「菊池義武」の征伐の順調さからきていると思います。
ですが‥真実は誰にもわかりません。
⑤宗麟の宿敵
宗麟の時代の九州は「九州三国志」のように三すくみのような時代でした。
「大友氏」「島津氏」「龍造寺氏」‥と名前を並べます。
そんな中でも、最も宗麟の宿敵と言えるのは「毛利元就」と「秋月種実」じゃないか‥と私は思っています。
●「毛利元就」と「宗麟」
‥宗麟は、元就に弟「大内義長」を殺されています。
それに、寵愛していた家臣を謀反に誘っています。
そして、最も近くにいる敵だったとも言えると思います。
元就と宗麟は親子程の年の差があり、「元就」は早く亡くなりますが‥
子、隆元 孫、輝元‥など大きく大友氏にかかわってきます。
そんな中でも、最も大きな事件だと思うのは
「高橋鑑種」の謀反だと思います。上で述べた。寵愛していた家臣とか「鑑種」のことです。
彼の謀反理由は、複数考えられています。
そして、彼の謀反事件から「毛利氏」と「大友氏」の直接対決が始まります。
●‥宗麟が鑑種に裏切られた事について
「鑑種が謀反を企んでいる?」という考えは知られていた話のようでしたが‥
宗麟は信じなかったようです。
最終的に、宗麟が鑑種に使者を出した時に、その使者が殺されてしまったことです。
これを知った宗麟は、さすがに‥謀反の考えも受け入れます。
そして、鑑種への対抗をします。
謀反をした鑑種について
宗麟は「せっかく可愛がったのに‥」「彼ほど、忠節無比な人はいなかった」と思われたそうです。
この謀反の鎮圧に3年の月日を費やします。
細かいことに、ついては「高橋鑑種」について書きたいと思います。
●「秋月種実」と「宗麟」
「種実」は宗麟に「父、文種」と「兄」を殺されています。
このことが理由なのか?詳しいことはわかりませんが、「毛利氏との対立」や
「龍造寺氏、島津氏との対立」の時の大きくかかわってきます。
大友氏が、耳川の戦いで敗れるまでは、表向きは大友氏に所属していますが
敗北をすると、どんどん大友氏の領地を奪っていくなどします。
‥詳細は「秋月種実」についてで書きたいと思います。
⑥素晴らしい家臣
大友氏は、全国中でも非常に人材のいい家だと思います。
とくに、宗麟の時代はすごかったと思います。
とく目にする
「高橋紹運」は衰える大友氏を支えて、戦場で死を迎えます。
「立花宗茂」若いながら、亡き父を負けないくらいの実力で、支えていきます。
「甲斐宗運」彼は「阿蘇氏」の家臣ですが、大友氏につき名だたる戦に出ています。
「高橋鑑種」のちに謀反をしますが、出世の速さや、参加した戦での武功は大友氏の名だたる武将と名を連ねたようです。
「臼杵鑑速」宗麟時代、最年長の家老でした。「鑑種の討伐」に大きく関係をします。
「一万田鑑実」一生を戦で費やし、名だたる戦に参加をし宗麟から絶対の信頼を得ていました。
‥たのように、まだまだ多くの有能な家臣がいます。
⑦宗麟の輝かしい活躍
今まで、ややマイナスイメージが強かったですが‥
非常に才能を発揮する時もありました。
宗麟は、戦は苦手だったみたいですが、貿易については非常に優れていました。
このことが、大きく評価ができるのは「島津家久」との戦いの時です。
もう晩年のお話になりますが‥
大友氏が、島津氏に領地をほとんど奪われてしまいます。
残るのは、宗麟の篭る「丹生城」(現在の津久見にありました。)
この時に、宗麟は籠城をし戦います。
最終手段の時に用いたのが、貿易に手に入れた「大砲」(フランキ砲)です。
この活躍により、島津氏を一時的に抑えることができます。
そして、もう一つこの‥戦いの際に
「丹生城」に村人を入れるなど‥のことがありました。
この時に、自分の衣服を分けることや、一緒に握り飯を作ったなど‥
案外‥暖かいことも史実であったそうです。
⑧宗麟の評価
宗麟の評価は、多分‥割れることが多いです。
文化を大切にして、「日本発の病院」「日本発の学校」一時は日本一の都市へ発展させましたが‥
非常に戦が苦手で、出兵した戦は大体‥負けてます。
後は、逸話もあり‥好き、嫌い も別れると思います。
そして‥江戸時代「毛利氏」「秋月氏」らにより、描かれた人物像は「わがまま」かつ「身勝手」なイメージです。
ですが、戦国時代当時に、日本に訪れた宣教師らからは、かなり高い評価をえています。
その証拠に、西洋の本に宗麟の絵が挿絵に描かれています。
そして「ヴァン・ダイク」の作品に、ザビエルと共に描かれています。
‥このようなことから、評価はそれぞれ‥難しいと言われます‥
⑨あれこれ出来事
●宗麟が「丹生城」での籠城で使用されたとされる‥フランキ砲が、近年の間に「ロシア」で見つかったようです。
●江戸時代に、大友宗麟の娘をイメージして小説の文学作品が作成されました。
●宗麟の墓は、ふるさと「津久見」と京都の「瑞宝院」にあります。
最後に‥大友宗麟の登場するメディアのついて
漫画‥
(プリンセス)しらぬいものがたり
(フラッパー)殿といっしょ
(wings)戦国四コマかいこ
(カプコン)マメBASARA
(?)BL戦国史
(?)美少女武将が出てる感じの‥
小説‥
(人物文庫)王国燃えゆ
(講談社)火炎城
(光山製作所)筑前の虎「高橋鑑種」
(新潮文庫)王の挽歌
(中公文庫)フロイス日本史
(文春文庫)無鹿
ラノベ‥
ゲーム
(Koei)太閤立志伝
(Koei)織田信長の野望
(白組)戦国乙女
(System)戦極姫
アプリ
(silicon)戦国雅
(Boom)戦国バスター
ムック
(?)戦国時代の100人
‥など
観覧ありがとうございました。